過去のPost「LDってなに」において、
学習障碍は「個性」ではなく、「脳の機能障害がもたらす困難」であると認識することが必要
ということを書きました。野比ママがこの考えに至った、ノビー自身の言葉でそのことに気づかせてくれたできごとがあります。
ノビーは小学校5年生のときに非言語性学習障碍と診断されました。
もう10年以上も昔のことなので、今と比べると関連書籍や手に入る情報はかなり限られてはいましたが、それから野比ママは発達障害や学習障碍に関する書籍や記事を色々と読んで、この障碍に関するかなり詳細かつ当時においての正確な知識を得ていたと思います。
中学1年生になってノビーにとって生まれて初めての定期テストに直面したときのことです。
野比ママは中学・高校と「最小限の努力」で、定期テストでいつもよい点数をとって、よい成績をキープすることに長けていたと思います。「ここさえ押さえとけば大丈夫」みたいなポイントを書き出して、自作まとめノートみたいなものを作り、何度も集中してノートをおさらいすれば、大抵の問題はクリアできていたという自信がありました。いわゆる地頭がよいというより要領のいい子供です。
中学生の定期テストなんて5日もあれば十分。いくら障碍があったって、野比ママが毎日つきっきりで2週間も特訓すれば、きっとよい点数がとれるに違いないと。「テストに出る」系の教科書準拠定期テスト予想問題集を買ってきて、それこそノビーが反射的にすらすらと答えられるようになるまで、何度も何度もQ&Aを繰り返して特訓しました。そして実際その時ノビーはすらすらと答えることができていました。
連日の特訓中に、ノビーは「机に座ると気持ち悪くなる」と訴えていたのですが、勉強したくないからいい訳してるんだろうと思っていました。でも後になればそれは理解できない勉強を長時間無理やり詰め込まれる事に対する身体的拒否反応だったのだとわかります。
そして初めてのテストの結果は、野比ママにとってショッキングなものでした。何故ならば、その「何度もすらすらと答えていた」問題がほとんどだったのに、ほとんど正解が書けていなかったからです。「え?これもこれも?皆やったじゃない!答えてたじゃない!なんでできてないの?」と愕然としました。
後になってみると、ノビーは本当に内容を理解して答えていたわけではなく、野比ママのフォーマットを機械的に暗記していただけだったので、それと少しでもフォーマットが違うと、同じ問いでも答えられないのだということがわかるのですが、その時はショックを隠せませんでした。
がっくりと肩を落とす私を見て、12歳のノビーは悲しい顔で「ママごめんね・・・バカで」と言ったのです。それでようやく野比ママは目が覚めました。これが「身につかない」ということなんだなと。どんなに勉強して一時的にできるようになっても、学んだことが定着しない。次の週にはきれいさっぱり忘れている。正確にいうと忘れているのではなく、しまった引き出しがどこだかわからなくなるという表現が正しい、ということを何度となく読んで理解していたはずなのに、「そうは言ってもつきっきりでやればできるようになるんじゃ?」とどこかで自分の子供が障碍であることを否定したかったのかも知れません。
12歳のノビーにバカでごめんと言わせてしまった。机に向かうだけで吐き気がする程追いつめてしまった。これが野比ママがやらかした最初の失敗です。
反省した野比ママは、はじめて「発達障碍者支援センター」のカウンセリングを受け、紹介状を書いてもらった大学病院で小5の時よりも時間をかけて、いくつもの詳細な検査をしてもらいました。そしてノビーが特定の認知機能において境界線ともいえるほど数値の落ち込みがあること、しかしそれを補うために普通とは違うやり方で物事を理解していること、聴覚優勢で聴いた情報なら一度にたくさん入出力できること、等々がわかりました。その時の心理士の先生がとても丁寧に時間をかけて検査をし、ノビーの特徴をとても詳細にわかりやすく説明してくれたことが、今でも印象に残っています。
検査で障碍が治るわけではありません。
しかしその後留学する16歳まで4年間、あきらめず投げ出さず、ノビーの専属家庭教師として精一杯のサポートをしてやることができたのは、「障碍者である」ノビーを認め、理解し、正面から向き会う覚悟ができたからだと思っています。その意味で検査を迷っている方には、いつもまずは検査を受けてみることをお勧めしています。
ノビーはテス勉をみてもらうことが決して好きだった訳ではありません。むしろいつも悪態をついて阿鼻叫喚の大バトルを繰り広げていました。けれど最終的にできるまでわかるまでとことんつきあうと、必ず最後に「いつも勉強教えてくれてありがとう」というのです。「無理に勉強なんかするより好きなことに打ち込めばいい」とか「世の中勉強よりも大切なことがある」とか、そういうセリフは果たして彼らの慰めになるでしょうか?彼らはサバイバルしていかなくてはならないのです。学校でも社会に出た後も。どんな子供にもできるようになりたいという向上心はあります。どうせバカだから勉強なんてしたってしょうがないと本気で思っている子供なんていないと野比ママは思っています。
ノビーは大学を卒業後帰国して日本の企業に就職し、現在では独立してひとり暮らしをしています。
先日TVでおとなの発達障害の特集をたまたま見たらしく、「大人になるまで気がつかない人も中にはいるんだね。自分は本当に恵まれた環境で育ったんだな。ありがとう。」とめずらしくメッセしてきました。
大人になったノビーにはあえて聞きませんが、おそらく仕事でも彼なりの苦労はたくさんあるのだろうと思うのですが。自分の駄目なところと優れたところを理解し、その上でサバイバルしていくための手段を7年間の留学生活で築けたことが、揺るぎない土台になっているのを感じます。あの時12歳のノビーを追いつめて駄目にしなくて本当に良かった。それに気づかせてくれたのはノビー自身だったのだと思い出し、感慨にふけってしまいました。
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