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家族の代わりになる人たち

いちばんつらかったできごと を通して、ノビーのなかに、周囲の人々に対し、単なる友達や職員という以上の感覚が芽生えたようです。このときに彼が「自分は独りではなく、周囲の人々にこんなにも愛されている」と実感できたことによって、彼にとってもまた、周囲の人々がかけがえのない存在だと考えるようになりました。

彼が学校の医務室に「入院」していたあいだ、職員や友だち、毎日誰かしらが、彼のもとを訪れてくれました。多くの人々は、「自分も似たような大けがを経験したけれど、今はこんなに元気になった」という体験談をして励ましてくれたそうです。ある敬虔なクリスチャンの教師夫妻は、平易な英語で書き換えられた聖書を枕元にプレゼントしてくれました。校長先生は、ノビーの大好きなケンタッキーフライドチキンを差し入れしてくれました。そしてノビーがもっとも敬愛するアドバイザー(担当教師)は、彼の手術に立ち会ってくれて、ずっと側についていてくれました。しかも、法律上の問題とかで、病院側が正式な保護者以外は入れないとシャットアウトしようとしたところ、「私は彼のAmerican Momなんだ。母親がわりなんだ。その母親を入れないとはいったいどういう事だ?」と病院の職員に大クレームする怒鳴り声が、病室の中まで聞こえてきたそうです。もちろん、おしとやかで聡明な彼女がそんな風に声を荒げるのを聞いたのは、はじめてのことです。ノビーは本当に感動したと話してくれました。

そして、どん底まで落ち込んでいた彼を救ってくれたのは、学校の医務室のナース長が「これを読んでみて」と渡してくれた、何かの本のコラムを切り抜いた一枚の紙切れでした。それは、”Why do we fall?”と題した記事でした。そこには、「何故私たちはつまづくのだろう?それは、いつか同じようにつまづいた人を助けることができるようになるためだ」といった趣旨の事が書かれていたそうです。それを読んだときにノビーは、「自分はいったい何故、なんのためにこんなに酷い目にあうのだろうか」と考え続けていた、その答えを見つけたと確信したそうです。

そして、このできごとから約1年後、彼は”Why do we fall?”という題名のエッセイを、カレッジアドミッションのために書きあげました。ESLの教師やSAT塾の講師、野比ママといろいろな人間の推敲が入ってはいますが、ノビー以外の誰にも書けない、すばらしいエッセイだったと今でも思っています。彼のカレッジエッセイは、こんな風に締めくくられていました。”I will never give up because now I have learned how to survive facing difficulties, as well as how to help others who have experienced the same difficulties as me. I want to be like my friends, teachers, and nurses who helped me stand up.” (これから先どのような困難に直面しても、自分は決してあきらめない。なぜなら、自分はそれをどうやって乗り越えるかを学び、また自分と同じように困難に直面した人を助ける術を学んだから。自分がどん底から立ち上がる事を助けてくれた友達や、先生や、ナースのように、自分もなりたいと思う) 

彼が6か月の療養を終えて、走り回れるくらいになったジュニアの春休み、ようやく野比ママは術後のノビーと対面しました。そのとき、「ほんとうに辛い思いをしたね。さすがに、あーもう日本の家に帰りたいなって思ったでしょ?」と聞いてみました。それまで留学してから1度も、ノビーの口からホームシックととれるような発言を聞いたことがなかった野比ママは、少し期待して聞いたのですが、その期待はまたもや裏切られてしまいます。「あーそれはなかったな。だって、家族の代わりになる人たちが周囲にいるからね」というのがノビーの答えでした。

かくて野比ママは、母親としては若干の寂しさを感じつつ、ボーディングスクールでの生活がノビーにとってかけがいのないものになったことを実感したのでした。

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