今と違って、まだLDとか学習障碍という単語そのものが、世間にほとんど認知されていない時でした。「学習障碍の疑いがあるので、病院で検査を受けようと思う」と担任教師に告げても、「お母さんそれは違いますよ。彼は決して障害児などではありません」という言葉が返って来たくらいです。そのくらい、彼はどこからみても普通の子でした。ただ「読み書き計算が苦手」という事以外は。
それでも野比ママが診断を受けようと決心したのは、ノビーの勉強をみていて感じる「違和感」からでした。ノビーはおしゃべりで、知的好奇心や創造力のある子供でした。親の欲目を差し引いても、他の子供たちと比べて知能的に劣るとは思えないのに、漢字は全部覚えるまでつきっきりで特訓しても翌週には全部忘れてしまうし、百ます計算の引き算はいくら練習してもなかなかできません。「何か、どこかがおかしい」という違和感を覚え、たまたま百ます計算の蔭山先生のホームページを見て、学習障碍なるものの存在を知ったのです。
WISC検査の結果は、「非言語性学習障碍」(現在では言語性、非言語性の分類はしないようですが)というものでした。言語性IQが通常よりも高いのに比して、動作性IQが低く、その差が有意(30ポイント)であるというものでした。
学習障碍といっても、いわゆるディスレクシア(難読症)ではありません。特に視知覚認知が弱いため漢字が覚えられず、単純な計算問題はできるけれど、面積や体積のような図形問題、推論が必要な文章題になるとからっきし駄目というようなものです。
発達障碍の研究で知られる榊原洋一教授が、「発達障碍とは発達凸凹です」という言い方をされていて、その表現がまさにぴったりなのですが、LDをかかえた子供(というか大人もですが)の状態というのは、「この手のものはこんなにできるのに、何故こんな事ができないのだろうか?」という違和感を常に感じさせる状態、といえると思います。できることとできない事の間に、通常では考えられないギャップがあるのです。

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